Manager profile · Before 1992 · #12 of 29

二宮洋一にのみや ひろかず

二宮洋一は、1917年兵庫県生まれ。1992年のプロ契約監督(ハンス・オフト)より前に、 サッカー日本代表を率いた監督のひとり。在任 1951年、国際Aマッチ 3試合 1勝1分1敗、勝率 33.3%。

BIO

基本情報

氏名
二宮洋一
よみ
にのみや ひろかず
生年月日
1917-11-22
出身
兵庫県
国籍
日本
在任期間
1951年
就任順
12 / 29(1917〜1991年の一覧での順番)

生年月日・出身は日本サッカー殿堂の掲額者紹介(JFA公式)の記載どおりです。

CUP

指揮した主な大会

  • 1951AG

大会の略号 — WC:ワールドカップ / OG:オリンピック / AC:アジアカップ / AG:アジア競技大会 / FEG:極東選手権、「予」は予選。

REC

日本代表監督としての成績

3 試合
勝率 33.3% 平均勝点 1.33
二宮洋一の日本代表監督としての成績(国際Aマッチ)
期間 試合 勝 分 敗 勝率 平均勝点
1951年 3 1 1 1 33.3% 1.33

成績は日本サッカー協会が公認した国際Aマッチのみの集計。試合数0の監督は、指揮した試合がすべてAマッチ以外だったことを意味する。 1992年以降の監督の一覧・勝率ランキングとは集計の前提が違うため、そちらには合算していません。 出典: サッカー日本代表 — 歴代監督の一覧(ウィキペディア日本語版)(典拠: 日本代表 試合別出場記録(日本サッカー協会。元URLは消滅のため Internet Archive 2016-03-03 保存版) / 2026年6月30日時点)。

CAREER

経歴

5 件
  1. 選手

    神戸一中(現 県立神戸高校)、慶應義塾大学のセンターフォワード。慶大で1937年から関東大学リーグ4連覇。慶応大学・慶応BRBで全日本選手権7回優勝

  2. 日本代表

    1951年 第1回アジア競技大会(ニューデリー)に選手兼監督で出場し銅メダル。1954年 W杯スイス大会アジア予選、第2回アジア競技大会に出場。Aマッチ5試合1得点

  3. その後

    メルボルン五輪へ向けた日本代表のコーチ。1952年 慶大監督で関東大学リーグ優勝、1969年 総監督で全国大学選手権優勝

  4. 協会

    JFA理事・監事、関東協会理事、関西協会理事、全国サッカークラブユース連合(U-18)会長など

  5. —

    2000年没

日本サッカー殿堂の掲額者紹介(JFA公式)の記載を、時期ごとに区切って掲載しています。

TITLE

タイトル・顕彰

3 件
  • 日本サッカー殿堂(2006年 第2回・特別選考)
  • 1951年 アジア競技大会 銅メダル(選手兼監督)
  • 全日本選手権 優勝7回(選手)

出典に記載のあるものだけを掲載しています。

1991年以前の監督 日本代表の一覧 代表監督

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Cross link

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