Manager profile · Before 1992 · #18 of 29
デットマール・クラマーでっとまーる・くらまー
デットマール・クラマーは、1925年ドイツ生まれ。1992年のプロ契約監督(ハンス・オフト)より前に、 サッカー日本代表を率いた監督のひとり(高橋英辰の監督時代にコーチとして指揮した1試合)。在任 1960年、国際Aマッチ 1試合 0勝0分1敗、勝率 0.0%。
基本情報
- 氏名
- デットマール・クラマー
- よみ
- でっとまーる・くらまー
- 生年月日
- 1925-04-04
- 出身
- ドイツ
- 国籍
- 西ドイツ
- 在任期間
- 1960年
- 就任順
- 18 / 29(1917〜1991年の一覧での順番)
生年月日・出身は日本サッカー殿堂の掲額者紹介(JFA公式)の記載どおりです。
指揮した主な大会
- 1962WC予
大会の略号 — WC:ワールドカップ / OG:オリンピック / AC:アジアカップ / AG:アジア競技大会 / FEG:極東選手権、「予」は予選。
日本代表監督としての成績
1 試合| 期間 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 | 平均勝点 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1960年(代行) | 1 | 0 | 0 | 1 | 0.0% | 0.00 |
成績は日本サッカー協会が公認した国際Aマッチのみの集計。試合数0の監督は、指揮した試合がすべてAマッチ以外だったことを意味する。 1992年以降の監督の一覧・勝率ランキングとは集計の前提が違うため、そちらには合算していません。 出典: サッカー日本代表 — 歴代監督の一覧(ウィキペディア日本語版)(典拠: 日本代表 試合別出場記録(日本サッカー協会。元URLは消滅のため Internet Archive 2016-03-03 保存版) / 2026年6月30日時点)。
経歴
6 件-
来日
1960年、1964年東京五輪へ向けた強化・指導のため日本代表コーチとして来日。以後、強化・指導者養成・ユース育成の礎を築き「日本サッカーの父」と称される
-
日本代表
1968年メキシコシティー五輪ではアドバイザー的な役割を果たし、日本の3位・銅メダルに貢献
-
FIFA
1969年 千葉の第1回FIFAコーチングスクールでスクールマスター。その後FIFA専任コーチとして世界70カ国を巡回指導
-
監督
西ドイツ協会コーチ。バイエルン・ミュンヘン、バイヤー・レバークーゼンなどの監督を歴任し、バイエルンでヨーロッパチャンピオンズカップ2連覇。アメリカ代表監督、サウジアラビア代表監督も務めた
-
再来日
1989年、JFAの招聘で9回目の来日。2年間、特別コーチ
-
—
2015年没
日本サッカー殿堂の掲額者紹介(JFA公式)の記載を、時期ごとに区切って掲載しています。
タイトル・顕彰
4 件- 日本サッカー殿堂(2005年 第1回・特別選考)
- ヨーロッパチャンピオンズカップ 優勝2回(バイエルン・ミュンヘン 監督)
- 勲三等瑞宝章(1971年)
- 日本サッカー協会75周年記念功労賞(1996年)
出典に記載のあるものだけを掲載しています。
出典
3 件- www.jfa.jp/about_jfa/hall_of_fame/member/Dettmar_CRAMER.html
- ja.wikipedia.org/wiki/サッカー日本代表#歴代監督の一覧
- web.archive.org/web/20160303165323/http://www.jfa.or.jp/archive/daihyo/daihyo/data/AGame.pdf
最終確認日: 2026-10-09(リンク先の内容は確認日以降に変わっている場合があります)
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