Manager profile · Before 1992 · #23 of 29

二宮寛にのみや ひろし

二宮寛は、1937年東京都生まれ。1992年のプロ契約監督(ハンス・オフト)より前に、 サッカー日本代表を率いた監督のひとり。在任 1976年–1978年、国際Aマッチ 27試合 6勝6分15敗、勝率 22.2%。

BIO

基本情報

氏名
二宮寛
よみ
にのみや ひろし
生年月日
1937-02-13
出身
東京都
国籍
日本
在任期間
1976年–1978年
就任順
23 / 29(1917〜1991年の一覧での順番)

生年月日・出身は日本サッカー殿堂の掲額者紹介(JFA公式)の記載どおりです。

CUP

指揮した主な大会

  • 1978WC予、1978AG

大会の略号 — WC:ワールドカップ / OG:オリンピック / AC:アジアカップ / AG:アジア競技大会 / FEG:極東選手権、「予」は予選。

REC

日本代表監督としての成績

27 試合
勝率 22.2% 平均勝点 0.89
二宮寛の日本代表監督としての成績(国際Aマッチ)
期間 試合 勝 分 敗 勝率 平均勝点
1976年–1978年 27 6 6 15 22.2% 0.89

成績は日本サッカー協会が公認した国際Aマッチのみの集計。試合数0の監督は、指揮した試合がすべてAマッチ以外だったことを意味する。 1992年以降の監督の一覧・勝率ランキングとは集計の前提が違うため、そちらには合算していません。 出典: サッカー日本代表 — 歴代監督の一覧(ウィキペディア日本語版)(典拠: 日本代表 試合別出場記録(日本サッカー協会。元URLは消滅のため Internet Archive 2016-03-03 保存版) / 2026年6月30日時点)。

CAREER

経歴

4 件
  1. 選手

    慶応高校、慶応大学を経て1959年から新三菱重工のFW。1956年度 慶応BRBで天皇杯優勝。1957年 日本代表デビュー、1961年までに38試合14得点

  2. 監督

    1967年から9シーズン三菱の監督。JSL最多勝率60.1%・最多連続無敗26。1969年度 JSL初優勝、1971年度 天皇杯初優勝、1973年度 JSL1部と天皇杯の二冠

  3. 日本代表

    1976年に日本代表監督に就任。選手をドイツのクラブで練習させるなど個のレベルアップを図った

  4. 功績

    バイスバイラーとの親交から、奥寺康彦の1FCケルン移籍のきっかけをつくった

日本サッカー殿堂の掲額者紹介(JFA公式)の記載を、時期ごとに区切って掲載しています。

TITLE

タイトル・顕彰

4 件
  • 日本サッカー殿堂(2015年 第12回・特別選考)
  • 天皇杯 優勝(1956年度・慶応BRB 選手)
  • JSL1部 優勝2回(1969・73年度・三菱 監督)
  • 天皇杯 優勝2回(1971・73年度・三菱 監督)

出典に記載のあるものだけを掲載しています。

1991年以前の監督 日本代表の一覧 代表監督

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