Manager profile · Before 1992 · #26 of 29
川淵三郎かわぶち さぶろう
川淵三郎は、1936年大阪府生まれ。1992年のプロ契約監督(ハンス・オフト)より前に、 サッカー日本代表を率いた監督のひとり。在任 1980年–1981年、国際Aマッチ 10試合 3勝2分5敗、勝率 30.0%。
基本情報
- 氏名
- 川淵三郎
- よみ
- かわぶち さぶろう
- 生年月日
- 1936-12-03
- 出身
- 大阪府
- 国籍
- 日本
- 在任期間
- 1980年–1981年
- 就任順
- 26 / 29(1917〜1991年の一覧での順番)
生年月日・出身は日本サッカー殿堂の掲額者紹介(JFA公式)の記載どおりです。
指揮した主な大会
- 1982WC予
大会の略号 — WC:ワールドカップ / OG:オリンピック / AC:アジアカップ / AG:アジア競技大会 / FEG:極東選手権、「予」は予選。
日本代表監督としての成績
10 試合| 期間 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 | 平均勝点 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1980年–1981年 | 10 | 3 | 2 | 5 | 30.0% | 1.10 |
成績は日本サッカー協会が公認した国際Aマッチのみの集計。試合数0の監督は、指揮した試合がすべてAマッチ以外だったことを意味する。 1992年以降の監督の一覧・勝率ランキングとは集計の前提が違うため、そちらには合算していません。 出典: サッカー日本代表 — 歴代監督の一覧(ウィキペディア日本語版)(典拠: 日本代表 試合別出場記録(日本サッカー協会。元URLは消滅のため Internet Archive 2016-03-03 保存版) / 2026年6月30日時点)。
経歴
4 件-
選手
大阪府立三国丘高校でサッカーを始め、早稲田大学、古河電工でプレー
-
代表
早大在学中の1958年、国際親善試合の香港戦で日本代表デビュー。1964年東京五輪のアルゼンチン戦で1ゴール1アシスト、ベスト8。Aマッチ26試合8得点
-
日本代表
現役引退後、古河電工監督を経て1980〜81年に日本代表監督
-
協会
1988年 JSL総務主事・JFA理事。1991年 Jリーグ初代チェアマン。1994年 JFA副会長。2002年 JFA会長(第10代)
日本サッカー殿堂の掲額者紹介(JFA公式)の記載を、時期ごとに区切って掲載しています。
タイトル・顕彰
6 件- 日本サッカー殿堂(2008年 第5回・特別選考)
- AFCアワード ダイアモンドオブアジア賞(2005年)
- FIFA功労賞(2006年)
- 旭日重光章(2009年)
- 文化功労者(2015年)
- 文化勲章(2023年)
出典に記載のあるものだけを掲載しています。
出典
3 件- www.jfa.jp/about_jfa/hall_of_fame/member/KAWABUCHI_Saburo.html
- ja.wikipedia.org/wiki/サッカー日本代表#歴代監督の一覧
- web.archive.org/web/20160303165323/http://www.jfa.or.jp/archive/daihyo/daihyo/data/AGame.pdf
最終確認日: 2026-10-02(リンク先の内容は確認日以降に変わっている場合があります)
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